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岩崎弥太郎と福沢諭吉
福沢諭吉は東京三田に慶応義塾を開設しました。また、西洋の制度だったり、理念だったりと言う事について本を書く事で紹介していったと言います。そのおかめの顔と同じ顔で接客をしろと社員に指導していたそうです。その頃岩崎弥太郎は大阪にて海運業を立ち上げ、つくも商会から三菱商会へと改名をし、慶応7年に東京へ本社を移転しました。
当時、海運業の大手は日本国郵便汽船会社と言う所で、その態度は余りにも大きかったそうです。そこで、先生として教鞭を取っていました。その功績もあり、幕府の欧米使節として3度随行したと言います。しかし、事業の成功はお客様へのサービス次第と思っていた岩崎弥太郎は、東京に進出した際、店の正面におかめの顔をした看板を掲げたと言います。
誰でも知っている1万円札の顔、福沢諭吉が生まれたのは天保5年で、奇しくも岩崎弥太郎が生まれた次の日だったそうです。福沢諭吉は学問に長けていて、蘭学を学び、英語も学びました。そう言った状況を視察した福沢諭吉は、岩崎弥太郎は商売の本質を心得ていると言う事で感銘を受け、慶応義塾の塾生に語っていたそうです。
おかめというと、愛くるしい程の笑顔で見る物の心を和ませます。福沢諭吉と岩崎弥太郎はお互いに一目を置くと言う関係があったそうで、三菱の経営を近代化していく大きな役割を果たしていく事になっていったそうです。その福沢諭吉が書いた著書『西洋事情』は、出版されるや否やベストセラーになった様ですが、その本への魅力に岩崎弥太郎は魅入られて福沢諭吉のファンになったのではないかと思います。
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